
ある月曜日の朝、大手広告代理店の調達部門からメールが届いた。「当社のScope 3排出量算定にあたり、御社の事業活動から排出される産業廃棄物について、廃棄物種別ごとのCO2換算データをご提出いただきたくお願い申し上げます。具体的には、廃棄物の種類、処理方法(焼却・埋立・リサイクル)、重量(t)、および適用した排出係数をご記入ください」——。
総務の田中さん(仮名)は、もう10年以上マニフェスト伝票を管理してきた。廃溶剤は何キロ、廃インキは何キロ、処理業者はどこ——そうした数字は手元にある。しかし「CO2換算」と言われたのは初めてだった。マニフェストには重量と処理方法は書いてある。でもCO2の数字はどこにもない。
この記事は、まさにこの状況に置かれた印刷会社の方に向けて書いています。
マニフェストからCO2への変換フロー
Scope 3 カテゴリ5とは何か——「御社のゴミ」は「取引先の排出量」になる
まず、この話の前提を整理します。GHGプロトコル(温室効果ガスの国際算定基準)では、企業のCO2排出量を3つの「スコープ」に分けて管理します。Scope 1は自社の直接排出(工場のボイラーなど)、Scope 2は購入電力、そしてScope 3はサプライチェーン全体の間接排出です。
Scope 3はさらに15のカテゴリに分かれており、カテゴリ5は「事業から出る廃棄物」(Waste Generated in Operations)にあたります。ここで言う「事業」とは、報告する企業自身の事業活動のことです。
ここからが印刷会社にとって重要なポイントです。大手広告代理店が印刷業務を外注した場合、印刷工場で発生する廃棄物の処理に伴うCO2は、発注者(広告代理店)のScope 3 カテゴリ5に計上されるのです。つまり、御社の廃溶剤や廃インキの焼却で出るCO2は、取引先の排出量インベントリの一部になります。
取引先が「CO2データをください」と言ってきた理由は、まさにここにあります。
GHGプロトコル Scope 3 技術ガイダンス Chapter 5「Category 5: Waste Generated in Operations」では、第三者が処理する廃棄物の排出量をScope 3に含めるよう規定している。自社施設内で処理する廃棄物はScope 1・2に計上する。
出典: GHG Protocol — Technical Guidance for Calculating Scope 3 Emissions, Chapter 5
印刷業の廃棄物構造——何がどれだけ出ているのか
従業員45名規模の商業印刷会社では、主に以下の5つの廃棄物が日常的に発生しています。印刷業は廃棄物処理法上の「特定業種」に指定されているため、紙くずや木くずも産業廃棄物として扱われる点が他業種と異なります。
| 廃棄物の種類 | 法令上の分類 | 主な処理方法 | 排出係数の目安 (kg-CO2/t) |
|---|---|---|---|
| 廃溶剤(ブランケット洗浄液等) | 廃油(引火点70℃未満は特別管理) | 焼却 | 2,900 |
| 廃インキ(石油系・植物油系) | 廃油 or 廃プラ+廃油の混合物 | 焼却 | 2,590〜2,900 |
| 損紙・紙くず(刷り損じ・裁断くず) | 紙くず(印刷業は産廃扱い) | リサイクル / 焼却 | リサイクル: 29 / 焼却: 2,168 |
| 廃刷版(アルミPS版等) | 金属くず | リサイクル(溶融) | 17 |
| 廃プラスチック(包装材・フィルム) | 廃プラスチック類 | 焼却 / リサイクル | 焼却: 2,600 / リサイクル: 36 |
※排出係数は環境省「排出原単位データベース Ver.3.5」に基づく参考値。廃棄物種類・処理方法ごとに異なるため、実際の算定には最新版のデータベースを参照してください。
ここで注目すべきは、処理方法による排出係数の差が極めて大きいということです。たとえば紙くずをリサイクルに回せば29 kg-CO2/tですが、焼却すると2,168 kg-CO2/t——実に75倍の差があります。つまり、印刷会社の廃棄物管理の仕方が、取引先のScope 3数値を大きく左右するのです。
環境省「排出原単位データベース」は、サプライチェーン排出量の算定に活用できる廃棄物種類別・処理方法別の排出係数を無償で公開している。
印刷業は廃棄物処理法の指定業種であり、紙くず・木くずが産業廃棄物に該当する。廃インキは性状により廃油・廃プラスチック類・汚泥に分類が変わる。
マニフェストデータからCO2への変換——データは"すでにある"
ここからが実務の核心です。実は、CO2換算に必要なデータの大半は、すでに産業廃棄物マニフェスト(管理票)に記録されています。マニフェストには、廃棄物の種類、数量(kg単位)、処理方法、処理業者名が記載されているからです。
足りないのは排出係数だけ。つまり、変換作業は次の3ステップで完結します。
ステップ1: マニフェストから廃棄物種類と重量を抽出する ステップ2: 処理方法(焼却・埋立・リサイクル)に応じた排出係数を環境省データベースから特定する ステップ3: 重量(t) × 排出係数(kg-CO2/t) = CO2排出量(kg-CO2)
具体的な計算例
ある印刷会社の年間廃棄物データで試算してみましょう。
廃溶剤(ブランケット洗浄液):年間5トン、全量焼却処理 → 5 t × 2,900 kg-CO2/t = 14,500 kg-CO2(14.5 t-CO2)
損紙(刷り損じ・裁断くず):年間30トン、うち25tリサイクル・5t焼却 → リサイクル分: 25 t × 29 = 725 kg-CO2 → 焼却分: 5 t × 2,168 = 10,840 kg-CO2 → 合計: 11,565 kg-CO2(11.6 t-CO2)
廃インキ:年間2トン、全量焼却処理 → 2 t × 2,900 kg-CO2/t = 5,800 kg-CO2(5.8 t-CO2)
この3品目だけで年間約31.9 t-CO2。電子マニフェスト(JWNET)を導入済みであれば、重量と処理方法はデジタルデータとして取得できるため、変換作業はさらにスムーズです。
電子マニフェスト制度は、マニフェスト情報を電子化し、排出事業者・収集運搬業者・処分業者の3者が情報処理センター(JWNET)を介してやり取りする仕組み。前々年度の特管廃棄物発生量が年間50トン以上の事業者は電子マニフェストの使用が義務。
手作業 vs 構造的な解決——年に1回の依頼が「毎月」になる前に
現在、多くの印刷会社がこの変換作業を次のような手順で行っています。
- 紙マニフェストの控え(またはJWNETのCSVダウンロード)を1年分集める
- 廃棄物を種類ごとに手作業で分類し、重量を合計する
- 環境省のデータベース(Excelファイル、200行以上)から該当する排出係数を探す
- Excelで手計算し、取引先指定のフォーマットに転記する
取引先が1社だけなら、年に1回の作業で済むかもしれません。しかし現実には、複数の大手取引先がそれぞれ異なるフォーマットで同じデータを要求してくるケースが増えています。しかも、取引先ごとに**「当社の印刷ジョブに起因する廃棄物だけを按分して報告してほしい」**という要求が来ることもあります。こうなると、廃棄物の総量だけでなく、取引先ごとの配賦計算まで必要になります。
構造的な解決とはどういうことか
手作業の対極にあるのが、データの取り込みから変換・出力までを一貫して処理する仕組みです。
- マニフェストデータの自動取り込み: 電子マニフェストのCSVやPDFをアップロードするだけで、廃棄物種類と重量を自動分類
- 排出係数の自動マッチング: 廃棄物の種類と処理方法に応じて、環境省データベースの最新係数を自動適用
- 取引先ごとの配賦計算: 受注量に基づく按分ロジックで、取引先別のCO2データを自動生成
- マルチフォーマット出力: 取引先ごとに異なる報告フォーマット(CSRD、SSBJ、CDP等)への変換
まとめ——「ゴミのデータ」が取引継続の条件になる時代
産業廃棄物のCO2換算データの提出要求は、今はまだ大手取引先からの個別依頼にとどまっているかもしれません。しかし、企業のネットゼロ宣言やCSRD(EU企業サステナビリティ報告指令)の適用拡大に伴い、サプライチェーン全体の廃棄物データ開示は「あれば望ましい」から「なければ取引できない」へと確実に移行しています。
印刷業にとって、これは脅威であると同時にチャンスでもあります。**CO2換算データを迅速に提出できる印刷会社は、取引先の調達部門から見て「付き合いやすいサプライヤー」**になります。逆に、毎回「少々お時間をいただけますか」と対応が遅れる会社は、次の見積もり比較で不利になるでしょう。
マニフェストのデータはすでに手元にあります。足りないのは、それをCO2に変換する仕組みだけです。
稟議用FAQ
| 質問 | 回答 |
|---|---|
| Scope 3 カテゴリ5とは何ですか? | GHGプロトコルが定める間接排出15分類のうち「事業から出る廃棄物の処理に伴うCO2」を指します。第三者が処理する廃棄物が対象で、自社設備内の処理はScope 1に該当します。 |
| なぜ印刷会社に廃棄物CO2データの提出が求められるのですか? | 発注者が印刷を外注した場合、印刷工場で発生する廃棄物の処理CO2は発注者のScope 3 カテゴリ5に計上されます。発注者が自社のScope 3を正確に算定するために、外注先のデータが必要なのです。 |
| マニフェストのデータだけで算定できますか? | マニフェストには廃棄物種類・重量・処理方法が記録されているため、基本データとしては十分です。あとは環境省「排出原単位データベース」から処理方法に対応する排出係数を取得し、重量に掛け合わせるだけです。 |
| 排出係数はどこで入手できますか? | 環境省「グリーン・バリューチェーンプラットフォーム」で排出原単位データベースが無償公開されています。廃棄物種類別・処理方法別にExcel形式で提供されており、最新版(Ver.3.5)が利用可能です。 |
| 電子マニフェスト(JWNET)は必須ですか? | 特別管理産業廃棄物の前々年度発生量が年間50トン以上の事業者は電子マニフェストが義務化されています。それ以下でもCSVエクスポートが可能なため、CO2換算作業の効率化には導入を推奨します。 |
| リサイクルに切り替えるとCO2はどう変わりますか? | 処理方法による差は非常に大きく、例えば紙くずの排出係数は焼却で約2,168 kg-CO2/t、リサイクルで約29 kg-CO2/tと約75倍の開きがあります。リサイクル率の向上は取引先のScope 3削減に直結します。 |
| 取引先ごとに按分する必要はありますか? | 取引先から「当社分のみ」と指定された場合は按分が必要です。一般的には受注量(部数や用紙使用量)に基づく配賦が認められています。年間総量の一括報告で足りる場合もあるため、取引先に確認してください。 |
| 導入コストと対応期間の目安を教えてください。 | 手作業での対応は社内工数のみで可能ですが、取引先が増えると年間数十時間の負担になります。デジタル化ツールを導入する場合、初期設定は通常1〜2週間で完了し、以降はマニフェストのアップロードだけで済みます。 |