
ドイツのデータセンター事業者から届いた技術仕様書を、フィールドエンジニアが読んでいた。納入するUPSの要件一覧——入力電圧、出力容量、切替時間、蓄電池寿命。いつもの仕様項目に目を通していたとき、最終ページに見慣れない一行があった。「バッテリーパスポートの提出をお願いします」。
エンジニアは営業部長に聞いた。「バッテリーパスポートって何ですか?」。営業部長にも分からなかった。従業員35名の産業用UPS販売・保守会社。10kVAから500kVAのUPSを年間約80台販売し、蓄電池交換を年間約120件こなしている。蓄電池の型番管理はExcel、保守記録は専用ソフト、製品仕様書はPDF——それで十分だった。しかし「バッテリーパスポート」という言葉は、この管理体制のどこにも存在しなかった。
この記事では、(1) バッテリーパスポートとは何か——欧州電池規則の構造と義務、(2) なぜ産業用UPSの蓄電池が直接対象になるのか、(3) 従業員35名のUPS会社を想定した業務シミュレーション、(4) ESG専任者なしで対応を始める方法、を順に整理します。
EU電池規則の4つの義務とUPS会社への影響
欧州電池規則——「電池のゆりかごから墓場まで」を規制する法律
結論から言うと、EU電池規則(Regulation (EU) 2023/1542)は、EU市場に投入されるすべての電池に対し、カーボンフットプリント(CFP)申告、人権デューデリジェンス、リサイクル材料使用率、バッテリーパスポートの4つの義務を課す包括規制です。2023年8月に発効し、段階的に義務が適用されます。
欧州電池規則は、ポータブル、産業用、SLI(始動・照明・点火)用、EV用、LMT(軽量輸送手段)用の5カテゴリすべての電池を対象とする。主要義務として、(1) 製造場所ごとのライフサイクルGHG排出量の第三者検証付きCFP申告、(2) サプライチェーン全体の人権・環境デューデリジェンス、(3) リサイクル材料使用率(鉛85%〈2031年〜〉、コバルト16%→26%〈2031年→2035年〉)、(4) EV用・LMT用・2kWh以上の産業用電池へのバッテリーパスポート義務化が定められている。
——アスエネ「欧州電池規則とは?規制対象や要求事項、国内外の動向・取り組み」 https://asuene.com/media/1746/
ここで重要なのは、この規則が「電池メーカー」だけを対象としていないという点です。電池を搭載した製品をEU市場に供給する企業——つまり、産業用UPSを納入する会社も、搭載する蓄電池が規則に準拠していることを証明する義務を負います。冒頭のドイツのデータセンター事業者が「バッテリーパスポートの提出」を求めてきたのは、この構造の帰結です。
4つの義務が産業用UPSにどう影響するか
義務1:CFP(カーボンフットプリント)申告。 蓄電池の製造場所ごとに、原材料調達から製造・輸送・使用・リサイクルまでのライフサイクル全体のGHG排出量を算定し、第三者検証機関の証明を受ける必要があります。中国メーカーのリチウムイオン電池、韓国メーカーのリチウムイオン電池、国内メーカーの鉛蓄電池——それぞれ製造場所が異なれば、CFPデータも個別に必要です。
義務2:人権・環境デューデリジェンス。 コバルト、リチウム、ニッケルなどの鉱物採掘における児童労働・強制労働リスクを特定し、防止措置を講じ、その結果を第三者検証・公開しなければなりません。ESGの「E」(環境)と「S」(社会)が、一つの製品規制の中で同時に要求される構造です。
義務3:リサイクル材料使用率。 2031年以降、鉛蓄電池のリサイクル材料使用率85%、コバルト16%(2035年には26%)が義務化されます。日本国内の蓄電池リサイクル率は、中間処理まで届くのが全体の15%程度という現状であり、この要件への対応は業界全体の課題です。
義務4:バッテリーパスポート。 EV用・LMT用・2kWh以上の産業用電池に義務化されます。産業用UPSの蓄電池は通常2kWhを大幅に超えるため、直接対象です。モデル情報、原材料構成、CFPデータ、リサイクル可能性——これらをデジタル的にアクセス可能な形で提供する仕組みが求められます。
タイムライン
| 時期 | 義務 |
|---|---|
| 2025年8月 | ラベル表示開始 |
| 2027年2月 | QRコード義務化 |
| 2031年以降 | リサイクル材料高使用率要件 |
2027年2月のQRコード義務化は、すべてのバッテリーパスポート対象電池にデジタル製品パスポート(DPP)を紐づけることを意味します。つまり、EU顧客から「バッテリーパスポートの提出」を求められるのは、規則の猶予期間が終わりに近づいているからです。
なぜ「UPSの販売会社」が対応しなければならないのか
「うちはメーカーではなく販売・保守会社だ。蓄電池のCFPデータなどメーカーに聞いてくれ」——この反応は自然です。しかし、EU電池規則の構造は、この逃げ道を塞いでいます。
第1の理由:EU市場への「投入者」が義務を負う。 規則上、EU市場に電池を「上市する」事業者が義務の主体です。UPSメーカーが直接EUに出荷する場合はメーカーが義務を負いますが、販売・保守会社がEU顧客に対して蓄電池交換サービスを提供する場合、交換用蓄電池のEU市場投入者としての責任が生じ得ます。
第2の理由:EU顧客(データセンター事業者)は、自社のサステナビリティ報告(CSRD/ESRS)のためにサプライチェーン全体のデータを必要としている。 バッテリーパスポートの提出要求は、規則の直接適用だけでなく、EU顧客の調達条件として課される。つまり、法的義務以前に、取引継続の条件なのです。
第3の理由:蓄電池交換ごとにデータが必要。 UPSの販売だけでなく、年間120件の蓄電池交換についても、交換先がEU向けであれば同様のデータ提出が求められます。新品80台の蓄電池+交換用120件——年間200件分のバッテリーパスポートデータが必要になる計算です。
思考実験——従業員35名のUPS会社に何が起きるか
ここからは、具体的な業務シミュレーションで「バッテリーパスポート」の圧力が現場にどう影響するかを見てみましょう。あくまで構造を理解するための思考実験です。
想定企業プロフィール
| 項目 | 設定 |
|---|---|
| 業種 | 産業用UPS(無停電電源装置)販売・保守 |
| 従業員数 | 35名 |
| 事業内容 | 産業用UPS(10kVA〜500kVA)の販売・設置・保守、蓄電池交換 |
| 年間UPS販売台数 | 約80台 |
| 年間蓄電池交換件数 | 約120件 |
| 主要蓄電池 | リチウムイオン(中国・韓国メーカー)、鉛蓄電池(国内メーカー) |
| EU向け販売 | 約15%(ドイツ・オランダのデータセンター向け) |
| ESG専任者 | なし(営業部長が兼務) |
| 現在のデータ管理 | 製品仕様書(PDF)、保守記録(専用ソフト)、蓄電池型番管理(Excel) |
バッテリーパスポートに必要なデータ項目
EU電池規則のバッテリーパスポートが要求するデータは、従来の「型番と容量」とは次元が異なります。
| データ項目 | 求められる内容 | 現在の管理レベル |
|---|---|---|
| 電池モデル・容量 | 型番、定格容量、エネルギー密度 | 型番管理(Excel)で対応済み |
| 化学組成 | カソード材料、電解質、セパレータの化学組成 | メーカー仕様書にあるが構造化されていない |
| 原材料の出所 | コバルト・リチウム・ニッケルの採掘国・精錬所 | 把握していない |
| CFP(カーボンフットプリント) | 製造場所ごとのライフサイクルGHG排出量 | データなし |
| リサイクル材料使用率 | 鉛・コバルト・リチウムのリサイクル含有率 | データなし |
| 人権DDの証跡 | サプライチェーン上の人権リスク評価結果 | 実施していない |
| ライフサイクル追跡 | 設置日、交換日、使用期間、劣化状態 | 保守記録に散在(構造化されていない) |
上3項目は既存データの延長で対応できる可能性がありますが、下4項目は現在の管理体制にまったく存在しない情報です。
手作業で200件分のバッテリーパスポートデータを整備する場合
営業部長が兼務で対応する場合の年間工数を試算します。
| 作業項目 | 推定年間工数 |
|---|---|
| 蓄電池メーカー3社へのCFPデータ照会・催促・回収 | 24時間 |
| メーカーから届いたCFPデータの製品別・ロット別整理 | 18時間 |
| 原材料出所データの調査(メーカー経由での鉱物採掘国確認) | 16時間 |
| リサイクル材料使用率のメーカーへの確認・文書化 | 10時間 |
| 人権DDのサプライチェーンリスク評価(メーカー回答の整理) | 14時間 |
| 200件分の蓄電池ライフサイクル追跡データの構造化 | 22時間 |
| EU顧客向けバッテリーパスポート文書の作成(顧客別フォーマット) | 30時間 |
| 蓄電池型番と規制要件のマッピング(2kWh以上の判定含む) | 8時間 |
| CFPデータの第三者検証対応(証跡の準備・質疑応答) | 16時間 |
| EU顧客からの問い合わせ対応(仕様書の補足説明、データの修正) | 14時間 |
| 規制変更の情報収集(EU電池規則の施行細則・ガイドライン更新) | 10時間 |
| 前年データとの整合性確認・更新 | 8時間 |
| 年間合計 | 約190時間 |
190時間。フルタイム換算で約24営業日——ほぼ丸1か月分です。営業部長がEU顧客への提案活動、国内の保守契約管理、新規案件の見積もり作成をこなしながら、毎年1か月分を「バッテリーパスポートのデータ整理」に費やす計算です。
しかも、ここには3つの構造的な問題が潜んでいます。
問題1:メーカーからのデータ回収が営業部長の「催促力」に依存する。 中国メーカーにCFPデータを問い合わせても、回答が返ってこない。韓国メーカーには英語でメール、国内メーカーには日本語で電話——それぞれの対応を営業部長が個別に追いかけなければなりません。メーカーの対応スピードが営業部長のパスポート作成スケジュールを律速します。
問題2:200件の蓄電池に「1台ごとの履歴」が求められる。 バッテリーパスポートは「製品カテゴリ」ではなく「個体」に紐づきます。80台のUPS新品に搭載される蓄電池+120件の交換用蓄電池、合計200件の個別データ。保守記録の専用ソフトに散在するデータを1台ずつ拾い集めてExcelに転記する作業が、22時間の正体です。
問題3:「第三者検証に耐えるデータ品質」を独力で構築できない。 EU電池規則のCFP申告は第三者検証が必須です。メーカーから受け取ったPDFのデータをExcelに手入力し、そのExcelをEU顧客に提出する——この「PDF→手入力→Excel」のプロセスには、監査証跡が構造的に存在しません。「この数値はどの文書のどの箇所から引用したのか」を検証機関に説明するためには、データの来歴が追跡可能でなければなりません。
Before/After:UPS会社のバッテリーパスポート対応フロー
| 業務工程 | Before(PDF+Excel手作業) | After(一次証憑自動抽出型) |
|---|---|---|
| メーカーからのCFPデータ収集 | 3社に個別照会、催促メール、回答を手動整理(42時間/年) | メーカー証憑のメール転送で自動抽出・自動分類 |
| 原材料出所・人権DDの文書化 | メーカーへの追加質問、回答の手動転記(30時間/年) | 30の正規化メトリクスがE(環境)+S(社会)を横断的にカバー、DD証跡を統合台帳に自動記録 |
| 200件の蓄電池ライフサイクル追跡 | 保守記録から1台ずつ手動抽出(22時間/年) | 保守記録の転送で設置日・交換日・劣化データを自動構造化 |
| EU顧客別のパスポート文書作成 | 顧客ごとの異なるフォーマットに個別転記(30時間/年) | 同一データからCBAM・ESRS・PACT V3・Catena-X等の複数フォーマットを同時自動生成 |
| CFP算定(排出係数適用) | 排出係数の手動検索・手動計算(18時間/年) | 18地域以上の排出係数エンジンが製造場所ごとに自動適用 |
| 第三者検証対応 | 証跡の事後作成、Excel上での説明資料準備(16時間/年) | 暗号台帳が証憑→抽出→算定の全過程を自動記録——削除・改竄は物理的に不可能 |
| 規制変更のモニタリング | 営業部長が個人的に情報収集(10時間/年) | 規制変更の自動追跡・影響分析 |
| 年間合計 | 約190時間(約24営業日) | 証憑のメール転送のみ |
「バッテリーパスポートが何か分からないが、どうすれば」——Marupass
ここまで読んで、「規制の構造は理解したが、ESGの専門家がいないうちで何ができるのか」と感じた方へ。Marupassは、まさに「バッテリーパスポートと言われても何のことか分からない」レベルのSMEに向けて設計されたサービスです。
Q. CFPの計算方法がそもそも分からない
分からなくて問題ありません。メーカーから届く蓄電池の仕様書や環境データシートをメール転送するだけ。AIが文書の種類を自動判別し、製造場所・化学組成・エネルギー消費データを抽出します。PCF配分エンジンが製品ごとのカーボンフットプリントを自動算定し、18地域以上の排出係数エンジンが中国・韓国・日本それぞれの製造場所に適切な係数を自動適用します。「ライフサイクルアセスメント」の意味を理解する必要はありません。
Q. EU顧客が3社あって、求めるフォーマットがバラバラで困る
Marupassのマルチフレームワーク変換は、同一の統合台帳から、CBAM、ESRS、PACT V3(製品カーボンフットプリント)、Catena-X(デジタル製品パスポート)など複数フォーマットの出力を同時に生成します。ドイツのデータセンターがCBAM形式を求め、オランダの顧客がPACT形式を求めても、データの転記は発生しません。
Q. メーカーにデータを催促しても返ってこない
メーカーとの調達通信もMarupassの暗号台帳に記録できます。さらに、メーカーがWhatsAppやLINEでデータを提出できる経路も用意されています。中国メーカーの担当者がスマートフォンで環境データシートを撮影して送信するだけ——メーカー側にもESGの専門知識は不要です。
Q. 人権デューデリジェンスなんて何から手をつければいいのか
Marupassの30の正規化メトリクスは、環境(E)だけでなく社会(S)領域もカバーしています。サプライチェーン上の人権リスク評価、苦情処理メカニズム、労働安全衛生——これらのデータポイントが統合台帳に構造化されるため、EU電池規則が求める「E」と「S」の横断的なDDが一つの基盤で管理できます。
Q. 「この数値は本当に正しいの?」とEU顧客に聞かれたら?
Marupassの暗号台帳(WORM型台帳)は、一度記録されたデータの削除・書き換えがシステムレベルで禁止されています。暗号証明トークンが各データポイントに付与され、EU顧客や第三者検証機関が独立にデータの真正性を検証できます。「Excelに転記しました」とは根本的に異なる品質です。
社内FAQ——「バッテリーパスポート」に関する社内の疑問
| 想定質問 | 回答 |
|---|---|
| 「バッテリーパスポートって何?」 | EU電池規則が定めるデジタル製品パスポートの一種です。蓄電池のモデル情報・化学組成・原材料出所・CFP・リサイクル可能性をデジタル的に提供する仕組みで、EV用・LMT用・2kWh以上の産業用電池に義務化されます。産業用UPSの蓄電池は通常2kWhを大幅に超えるため、直接対象です |
| 「うちはメーカーじゃないのに、なぜ対応が必要?」 | EU市場に電池を投入する事業者が義務を負います。EU顧客に蓄電池交換サービスを提供する場合、投入者としての責任が生じます。また、EU顧客が自社のCSRD報告のためにサプライチェーンデータを求めてくるため、法的義務以前に取引継続の条件です |
| 「いつまでに対応すればいいの?」 | ラベル表示は2025年8月、QRコード義務化は2027年2月です。ただし、EU顧客からのデータ要求はこれより早く届きます。冒頭の事例のように、技術仕様書の一項目として「今すぐ」求められる可能性があります |
| 「CFPデータはメーカーに聞けばもらえるのでは?」 | 理想的にはそうですが、日本のCFP算定方法が公表されたのは2023年4月で、多くのメーカーがまだ準備段階です。データが返ってこない、フォーマットがバラバラ、第三者検証を受けていない——これらの課題を営業部長が1社ずつ解決するのは現実的ではありません |
| 「鉛蓄電池のリサイクル率85%って達成できるのか?」 | 2031年以降の要件です。日本国内では中間処理まで届くのが全体の15%程度という課題があり、業界全体で取り組む必要があります。重要なのは、現時点のリサイクル率を正確に把握し、改善計画を数値で示せる状態を作ることです |
| 「対応しなかったらどうなる?」 | EU電池規則に準拠しない電池はEU市場に投入できなくなります。EU向けが売上の約15%を占める場合、年間販売台数80台のうち12台分の受注を失う可能性があります。さらに、EU顧客からの蓄電池交換案件(年間120件の一部)も失注します |
SAQ Shield
ESG Questionnaire Auto-Pilot
| ID | 質問内容 | 自動入力された回答 | データソース | 確信度 |
|---|---|---|---|---|
| E-1.1 | 年間の電力消費量(kWh)を記入してください | 126,000 kWh | 請求書自動取込 | 99% |
| E-1.2 | Scope 2 排出量(tCO2e)を記入してください | 55.57 tCO2e | 排出係数自動適用 | 98% |
| E-2.1 | 再生可能エネルギーの使用比率を記入してください | 12.4% | JEPX NFC 証書照合 | 95% |
| S-3.1 | 労働安全衛生に関する方針を記述してください | ISO 45001 準拠の安全衛生方針を策定・運用中 | ガバナンス台帳 | 92% |
| G-1.1 | 取締役会のESG監督体制を記述してください | 取締役会にサステナビリティ委員会を設置(年4回開催) | ガバナンス台帳 | 97% |
まとめ
EU電池規則は、電池のCFP・人権DD・リサイクル率・デジタルパスポートを包括的に義務化する規則であり、産業用UPSの蓄電池(2kWh以上)は直接対象です。「うちはメーカーではないから関係ない」は通用しません。EU顧客がバッテリーパスポートの提出を技術仕様書の一項目として求めてくる——それは規則の猶予期間が終わりに近づいているからです。
年間200件(新品80台+交換120件)の蓄電池データを、3か国のメーカーから回収し、EU顧客のフォーマットに変換し、第三者検証に耐える品質で提出するために必要なのは、ESGの専門知識ではなく、証憑を「監査に耐える形」で蓄積し、複数フレームワークに自動変換する仕組みです。
最初の一歩は、メーカーから届いている蓄電池の仕様書を1枚、メールで転送してみること。Marupassの無料診断で、その蓄電池がEU電池規則のどの義務に該当するかが可視化されます。バッテリーパスポートの準備は、その1枚から始まります。